夢見るデリジョン 224 View (2024-01-29 00:07)

Duop Reath - From South Sudan To The NBA via Thybulle

はじめに



 サイ坊は久々にYouTubeを更新し、誕生日を迎えた、同じオーストラリア代表でもあるDuop Reathのドキュメンタリーを投稿した。そこにはいくつもの興味深いストーリーがある。ここではその内容について日本語で要約した。必ずしも正確な訳であるとは限らないので、ぜひ動画を見て欲しい。


South Sudan to Kenya


 Duopは南スーダンのWaatという村出身である。そこでは武力衝突や内戦が絶えなかった。調べたところ22年くらい続いた内戦が2004年に集結したみたい。ソース。ということでちょうどDuopが生まれた頃は内戦真っ只中だった。もちろんDuop一家の最優先事項は命であり、Duopが5-6歳の時にケニアのKakuma難民キャンプに移動した(Kakuma難民キャンプ)。南スーダンからKakuma難民キャンプに逃げるのは当たり前だったみたい。


 しかし、難民キャンプでの暮らしはとても良いものとは言えなかったものだそう。何故なら生活が制限されており、暴力もよくあったからだ。Duop含めみんな、家族や親族と着る物や食べ物、靴など文字通りなんでもシェアして暮らしていた。Duopはそこで現実逃避のために友人とサッカーをずっとやって過ごしていた。「子供の頃は分からなかったが、親族を残して故郷を離れる決断は両親にとっては非常に重い決断だっただろう」とDuopも語っている。このように良い暮らしではないが、同時に難民キャンプが多くの人にとって救いだったのもまた事実である。何故ならオーストラリアのような難民を受け入れている国に亡命するチャンスになるからだ。そして幸運なことに、Duop家はオーストラリアに受け入れてもらえた。


New Beginning In Australia


 オーストラリアの道中、ナイロビの空港でトランジットがあった。そこで人生で初めてトイレットを見たと語っている。すごい話ですね、おそらく整備されたトイレは当時の難民キャンプにはなかったのでしょう。Duopは同時にテレビや人種の違う人を初めて見て衝撃と共に恐怖を覚えたそう。ただ、小さいDuop少年は両親に従うしかなかった。


 晴れてオーストラリアの学校に通い出したが、言語の壁にぶち当たる。先生もクラスメイトも何言ってるか分からず、Duopが言っていることも伝わらない。すぐにホームシックになったようだが、英語の授業が手厚くあったので、そこまで悪いものでもなかったと感じたらしい。


 言語の壁にぶち当たりながらも、Duopはスポーツに触れる。一番ハマったのはオーストラリア式フットボール。初めて聞いたスポーツだけど、ラグビーに近い感じかな(オーストラリア式フットボールについて)。この時にバスケをしている子供たち(おそらく学校の仲間とか?)は見ていたらしいけど、サッカーとオーストラリア式フットボールにのめり込んでいたので興味はなかったらしい。意外だね。


Starting Basketball In High School


 高校で背が伸び始める。9年生(year 9と言っている。オージーに来て9年目かGrade 9なのかわからない。向こうの高校はGrade 10まで)の時だったか、学校のジムでチラシを見つけた。Halen Fisherという女性(有名人とかではないと思う)が率いているバスケットボールチームだ。それに興味を持ち、連絡すると1-2週間後にロースターが空いたと連絡がきて加入することになる。Duopは高校最終学年手前にして遂にバスケを始める。


 チームは徒歩(多分)30分くらいのところで練習しており、バスがなかったのでそれを伝えたら、Halenが(車で)送り迎えをしてくれた。Duopに触発されてか兄弟たちもバスケを始め、いつしか車には3人のプレイヤーが乗るようになった。「Halenがいなかったらバスケを始めなかっただろう」。Halenありがとう。


 バスケをプレーするうちに上達していったのか、徐々に真剣に向き合うようになる。高校の最終学年時にDuopは南スーダンコミュニティーのバスケチーム、Port Rhinosに所属し、ビッグトーナメントに出場する。この経験はバスケが自分に何をもたらしてくれるか深く考えるきっかけになった、と語っている通り、バスケ人生において大きな転機になる。試合を見ていたLee CollegeのAC、Marcus Kingから奨学金オファーをもらう。Lee Collegeはアメリカの短大、Marcus Kingはおそらくこの人。まだコーチ業を続けている雰囲気。ここでMarcusはDuopを「バスケが人生を変える」と熱心に誘う。両親は勉強して学校を出ろ、とよく言い聞かせてたが、まさかバスケが人生を変えるきっかけになると思ってなかったので衝撃を受けた。まあよくよく考えたら普通はそうだよね笑。


Junior College In The USA


 母親は本当に出ていってほしくなかったようだった。このアメリカへの移動は楽な決断ではない。家族をおいて行くということ。そしてそうするからにはやることに集中しなければならないと決意し、バスケットをプレーする上での大きなモチベーションになる。Duopの大きな決断の裏にはいつも家族がいる。いつか見にきて欲しいな。


 とはいえDuopは初めは短大が何かわかっておらず、4年通うものだと思ってたんだって笑。でも時間が過ぎて、それが短い期間になることを理解し始めた。短大は、バスケを上手くプレーして、別の大学からの奨学金を得る場所だと。次のチャンスを得る場所ということ。MarcusはDuopを特別気にかけてくれたと思う、と自分で言っている笑。ずっと発破をかけてくれたみたいで、実際にそれですごく上手くなっていく。とは言えDuopの最優先事項は学位の方にあったみたい。ここら辺ではバスケでプロになるというより、大学を出て選択肢を広げるためにバスケをプレーしている雰囲気。とはいえ、すごく上手くなったDuopにはついに多くのD1の大学から奨学金オファーが来た。


LSU


 みんなが知っている通り、DuopはここでLSUを選ぶ。LSUのリクルートにはACのDavid Patrickが関わっていた。彼はオーストラリア人のコーチで、Duop勧誘前にはHOUでスカウトの経験もある。もっというと、その後にオーストラリア代表でもコーチをしている。


 LSUは決して小さな短大ではなく、大きな大学。ここを卒業することはバスケにおいてもバスケ以外においても非常に大きな意味を持つ。Duopは当時メカニックを夢見てたらしく、バイクいじりがすごく好きだったよう。


 バスケの面では、周りがすごく上手く、一歩先を進んでると感じていた。それもそのはず、Duopはまだ3年程度しか経験がないのだから。それでも食らいつこうと着実に上手くなっていったと語っている。Duopのスタッツはこちら。とはいえ、この時点でバスケ選手という夢について考え始めたんだと思う。まだまだ現実的ではないと思っていたようだが。そうこうしてるうちにDuopは大学を卒業し、進路を決める時が来た。


Playing Professionally In Europe


 本人の期待以上にDuopの評価は高い。複数のGリーグチームから誘いがあり、なんとNBAドラフト前ワークアウトにも呼ばれる。このワークアウトが彼にとって最も大切な経験の一つになる。Duopはここで自分の立ち位置を認識する。そして、もっと上手くならないとと痛感した。結局ドラフトには選ばれなかったが、ヨーロッパのチームの誘いを受けた。


 DuopのファーストキャリアはABAリーグで始まる。ここはセルビアやボスニアなどのヨーロッパ諸国のリーグで、現在では今年のトッププロスペクト、Nikola Topicやウィザーズに指名されたTristan Vukcevicが所属しているリーグ。Duopを獲得したのはFMPというチームで、育成チームみたいな感じだったらしい。


 カレッジでは皆がNBAを目指す。御多分に洩れず、Duopもそのうちの一人でABAをよく知らなかったと語っている。そこでは言語も違ければ、カレッジとはシステムも大きく違う。そしてLSUでは最高の設備があったが、FMPにそれはなかった。この状況を受け入れ、新たな環境を学ぶのにまた時間を要する。それでも2年プレーし、レッドスターに送られることとなる。レッドスターはおそらくこのチーム。過去にはビエリッツァやマリヤノビッチが所属していたチームで、ユーロリーグに出たり、FMPより強いチームっぽい。そしてここでまた奇跡が起こる。ユーロリーグをトルコで戦った後、当時のオーストラリア代表HC、Brian Goorjianから電話が来た。この人は多分まじですごい人、オーストラリア代表の歴史上において。


Australian Olympic Team


 代表チームの候補者リストをみて、びびるDuop。そこにはサイ坊やミルズなどスターの名前がある。これはスター街道を通ってないDuopにとってはとても信じられないこと。ただ、これによって彼は今までのハードワークが正しかったと、そしてそれを続けるべきだと確信した。


 Duopは最終ロースターに残り、初めてのアフリカ出身オーストラリア代表選手となる。そしてそれを母親はとても喜んだ見たい。そうだよね、おめでとう。ここで、サイ坊からオーストラリア代表での役割を聞かれて、答える。「ミルズのような役割ではないけど、皆が自分の役割を理解して戦ったからメダルがある」、と。Duopの静かなプライドのようなものが見える回答ですごく好き。


Summer League


 「NBAでプレーすることはずっと夢だった。 決して不可能ではないが、それは常に遠いものだった。特に彼が歩んできた道のりを考えれば。」


 最初のサマーリーグは、ネッツでジャレットアレンとプレーした。彼とプレーして、もっと上手くならないといけないと思った。結局NBAチームからのオファーはこず、ヨーロッパに戻った。


 ヨーロッパでプレーした後Duopは育ち故郷に帰る。それがベストな時期だと思ったようで、家族の元に戻ること、そしてBrian Goorjianの元でプレーしたかった。そして翌年、サマーリーグに帰ってきた。


 次のサマーリーグはサンズでプレーする。この時のサマーリーグでは相当自信があったようで、最初のゲームにベンチから出場し、大活躍する。しかし2試合目で足首を捻ってしまい、NBAの夢は叶わなかった。残念だったが、悪いことばかりではない。確実にNBAの夢が近づいてきていると実感したサマーリーグになった。Duopは(NBAという夢を考えたときに)自分が上手くプレーできているか、それとも出来ていないのか、それを理解し始めていた。その後、中国とレバノンでプレーし、レバノンではチャンピオンになった。そして、ポートランドから電話が来た。


Portland


 Duopは今までのサマーリーグでまさにジェットコースターのような経験をしている。そしてもう若くはないDuopはそれがラストチャンスであることを理解していた。ドラフトされるような選手では別だが、Duopのようなボーダーライン上の選手にとってサマーリーグはチャレンジだった。ブレクラの記憶にある通り、Duopはここで素晴らしい活躍をする。


 ポートランドがトレーニングキャンプに連れて行くと言った時、それがその瞬間だと思った。NBAでプレーするチャンス、NBA選手と日々競い合うチャンスを得た、と。トレーニングキャンプ中、Duopは自分にできるベストを尽くした。自分のパフォーマンスに満足がいっていたので、NBAに残るチャンスがあると思っていた。もう出来ることは神に祈ることだけだった。最終日(?)にクローニンが彼をオフィスによんだ。


 「君をウェイブするつもりだ。」


 マジか、と思った。続けて、クローニンが言った。


 「2way契約を結ぶ。」


 2回目のマジか、だった。Duopはもうよく分からなかったらしい笑。なんでそんな辺な伝え方したんだ笑。


Dream Come True


 クリプトアリーナに入れば、ポートランド対レイカーズかクリッパーズと書いてある。 実際にロッカールームに行くまで、(NBAプレイヤーになったこと)を信じられなかった。ただテレビで見ていただけの光景が広がっていた。サイ坊に言ったように、まるで夢を生きているようだった。 ライトは少し眩しく、コートは現実のもののように感じなかった。


 「OK、あなたの夢は今目の前にある。楽しめ」


 と自分に言い聞かせ、デビューした。それは誰もができる経験ではない。


終わりに


 ほんとに良い動画だった。サイ坊まじでありがとう。Duopのここまではすごく回り道だったけど、それでもいくつも奇跡が連なって、夢をかなえたストーリーにすごく感動した。現実的だけど、静かなプライドがあって、もっと応援したいと思えた。本契約はよーーー。これかのDuopに期待しましょう。


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